最近聞いてるCDに絡めた音楽の話

最近はもっぱらクラシックです。とは言っても冨田勲氏のシンセサイザーによるアレンジです。

思えば小学生のとき「バッハ・ファンタジー」と「惑星」を聴いて衝撃を受け、シンセサイザーに興味を持ったんだよね。

当時はクラシックのコンサートに頻繁に連れて行ってもらっていたので、聴いたことがある曲が、オーケストラではない、なにか不思議な音に変わっているというのが第一印象。どうやってこうゆう音を出すのか見当もつかなかった。機械で作っているのにホールのような残響(リバーブ)があるのも不思議でならなかった。ホールで音を出してそれを録音してるのかと思ってました。それとテルミン。人の声みたいですげー不思議でした。

バッハ・ファンタジー

バッハ・ファンタジー

惑星

惑星

あと、ドラゴンアッシュの初期の作品を聴いてます。むちゃくちゃ懐かしいし、今聴いても素直に感動できる曲が多い。ヒップホップにかぶれて(自分もかぶれましたが)革命だのなんだのといいだしてから興味がなくなってしまったんですけど、最近の曲はどんな感じなんだろ。冷めてるのがかっこよかった。気付けばもう8年も前の作品だよ。

Public Garden

Public Garden

Mustang!

Mustang!

ということで、古いのをひっぱりだして聴いてる感じです。昔のをずっと聴いてると、最近の曲*1は音圧高すぎてビビる。圧縮しすぎ。音がはちきれんばかりに膨張してて怖い。あと技巧に走りすぎってのがある。サンレコのブライアンイーノのインタビューにもあったけど、きくほうは作り手が意識しているほど多くを求めていないんじゃないでしょうか。ギミック多すぎ、味付けが濃すぎて、聞く人の想像力を奪ってしまっているのかも。あまりに感情的すぎて、その感情を裏付ける理論(というか動機)*2が置き去りになっている。

技巧で飾り立ててはいるが、非常に野蛮な印象。「おれはこうなんだ!」みたいな自己主張ばかりが強くて、なんでこうなんですとか、そういう説明がない曲が多いかなー*3。だからきくがわも「へえ、だからこうなんだー」と納得できない。クラブカルチャーにおける音楽ってそういうものかもしれませんけど。感情に任せて踊りまくって忘我の状態になっていくためのものだし、そのために継ぎ目がなく繋がっていくものだからね。

まあ音楽(というか芸術全般)は、まったく個人の好みの世界ですから、なにが正しいということはないのですが、私が「カッコイイ!」と思う曲に共通するのは、もちろん音の質感がいいとか、技巧的な面もありますが、大きなウエイトを占めるのは、「筋道がとおっている」という点なのかなーという気がしてきました。道理*4にかなっているというか。

私にとっての音楽は、踊ってバカになる、動物になるためのものではないと思います*5。音というのは自分にとって、やはり感情表現の道具(媒体)というよりは、記号*6という意味合いが強いです。感情そのものではなく、感情を喚起させる、記号であるべきだと思います。まったく理論でガチガチになってる曲も好きじゃないです*7。要するに感情と理性のバランスだと思います。本気なのか冗談なのか、みたいなところが面白いんじゃないか。主観と客観のバランスですね。そのバランスで、「主観も客観もない世界」を表現するみたいな感じ。例えば白い紙に黒いペンで文字を書いたときに、白紙の部分があるからこそ黒い文字が読める、みたいな。だから黒い文字だけを読んでいるつもりでも、実は白い部分も読んでるんじゃないかということです。全体があって個がなりたち、個があって全体がなりたつという同時性。スタンドアローンコンプレックス*8ですね。

結局何を言いたいかというと、自分の思考というものを客体化したいだけです。シンプルさ、音楽的なクオリティの高さを念頭におき、基本に返って、楽典からもう一度ちゃんと勉強しなおしてみたいと思う今日この頃。最近はシーケンサーの打ち込みに慣れすぎて、ドレミで考えなくなってきたもの。

*1:かなり漠然とした表現ですが。もちろん全部が全部というわけではないよ

*2:ある感情にいたる筋道を客観化する作業

*3:それが良いとか悪いということではなくて、自分はあまり好まないということです

*4:ダルマ=法

*5:かといってヒューマニストを気取るつもりもないが。強いて言えば、動物や人間、生や死という概念を超えた、いのちの輝きのようなものを表現したい

*6:表意文字といったらいいでしょうか

*7:IDMというカテゴライズはよくないと思う

*8:華厳的思想

ɂقuO yuO yp[eB[ECxgEtFX ɂقuO ʐ^uO ɂقuO lbguO lbgT[rX

カテゴリー: info, music   タグ:   この投稿のパーマリンク