Perfumeは、テクノポップである前にアイドル(偶像)です。
ぱっぱっぱっぱっぱふゅーむ♪こんにちは。
ニューアルバムが発売され、オリコンチャート初登場1位を記録したPerfume。おめでとうございます!
このブログでは一度も言及していなかったと思うので、そろそろ論じてみたいと思います。
これだけ人気が高まると、やっぱりライブを見に行きたくなりますよねー。様々なメディアへの露出も増えて、歌番組なんかにも出演していますが、「明らかに口パクだろ」という意見も見られます。
これに対して見られる反論として「テクノポップなんだからいいんだ」「無機質なのがいいんだ」「そもそもあそこまで加工されたボーカルを再現できないだろ」という声があがっています。
私は、それ以前にPerfumeは「アイドル(偶像)」であると考えています。偶像というのは、崇拝対象、熱狂の的のことです。そのアイドルとして一般大衆に受け入れられた形態が、一見フツーの女の子3人組のテクノポップユニットPerfumeだっただけの話です。
ではなぜ、いまPerfumeなのか?なぜPerfumeがアイドルになりえたか?
Perfumeが従来のアイドルと異なる点に、「普通っぽい少女3人組」「テクノポップ」「無機質」といった点があげられると思います。
普通っぽい、一見どこにでもいそうな女の子が、過剰に処理されたボーカルを歌って機械的にダンスする。はっきりいって、「Perfumeならでは」の部分はほとんどありません。いくらでも代わりがいます。本人たちには失礼ですが、かわいい子だったらもっと他にもいます。そこにポイントがある。素材としては非常に素朴な部類に入ります。Perfumeは宝石ではない。いわば道ばたの石ころです。
仏像は、なんの変哲もない木を彫って作られます。いくら「魂を込めて彫った」といっても、物質面だけで見ればただの木にかわりはありません。これに価値を見いだし、崇拝の対称とするのが偶像崇拝の本質です。
つまりPerfumeに歌唱力がなくとも、ダンスがうまくなくとも、容姿が抜群でなくとも、崇拝の対象としてはまったく問題ないわけです。
私たちが見ているのは、プロデューサー・中田ヤスタカという「神」の業により、きらびやかに変身したシンデレラの姿、およびその「神話」に他ならないのです。
PerfumeのYMOとの決定的な差は、YMOがセルフプロデュースであり、クラフトワークのような「Man Machine」な思想が浸透していたのに対し、Perfumeの場合は、そのような曲がった思想ももたない素朴な女の子が、機械にさせられてしまっている点だと思います。我々変態民族は、そういった「させられ感」に快感をえているわけですねー。中田ヤスタカにされるがままの少女たちを見てニヤニヤしているわけです。つまり我々は、中田(神)に自己を投影することで万能感を得ている。
そのように見ると、25年前とは起こっていることの本質がまるで違う。YMOはテクノポップとして成功をつかみましたが、Perfumeはあくまで「アイドル」としての成功をつかんだと言えます。
こんな書き方をすると、興ざめしてしまう方もいらっしゃるかと思いますが、私自身このわかりやすい神話を楽しんでいますし、我々が今求めているのは、難解な物語ではなく、童話のようなわかりやすいエピソードなのではないでしょうか。最近は、「むずかしいことかんがえたくないぴょーん!」っていう人ばかりですから。それだけ脳みそがしゃぶれちゃっているんですね。
また、ここで誤解を招くといけないので一言付け加えますと、Perfumeの3人は受動的でなにもがんばっていない!ということを主張したいわけではなく、むしろその逆です。優雅な白鳥の、水面下でのがんばりを考えていただければと思います。
さらに、音楽業界の背後で世論や大衆をコントロールする資本主義者の皆様を批判する訳でもございません。私がここで言いたかったのは、大衆を操作するために「神がいるかどうか」を論じても意味がないということ。大衆を操作するのはいつの時代も英雄と神話だったのです。
冗長的な文章で申し訳ございませんでした。6月の横浜公演はなんとしてでもいくぞ!ぱっぱっぱっぱっぱふゅーむ♪






>私は、それ以前にPerfumeは「アイドル(偶像)」であると考えています。
大衆の崇拝対象になるならば、CGのキャラクターだったり、究極はスマイルマークの様に「記号」であってもいいわけですよね。
Perfumeが人間である限り、偶像をより追求するためにムダを省き、無機質にしようとしても限界があると思いました。
それでも、ただの石ころを神像(=崇拝対象)に変えるだけの力を持つ中田ヤスタカの神業には脱帽です。
6月の横浜公演たのしみですね!
ぱへうむ!